クラウド型 ワークフロー

ワタシは大学院で、何を学んだのだろーか?

京都大学大学院、情報学研究科での2年間

 

「どんな大学院生活だったんですか?」

おおぉぉぅ!!!!!!
・・・ほとんど忘れたね。

確かに、「起業してからのコト」については、書いたり答えたりする機会があったけど、、、「学生時代の事」はあんまり聞かれたコトがないカモ。。。 土曜日(6月1日)は大学院のOB達によるオープンイベント『超交流会2013』だ。イイ機会だし、大学院時代の記憶を整理しておこーと思った。イベントの統一テーマは「みんなのカミングアウト」だし。。。

 

超交流会2013sn2013-promotion

 

◆0. 「学部」時代はオチコボレ

1993年、京都大学 建築学科に入学。授業には全く行かず、毎日遊び呆けた。
1995年、マッキントッシュと言うパソコンを買った。ゲーム機として。

大学院に進学する前、大学4年間は、通称『ドロップアウト組』に属していた。カッコ良さそうな響きだが、何か特別な「組織」がある訳ではなく、単に「落ちこぼれた人達」と言う意味で、そう呼ばれていた。4回生になって配属されたのは『建築情報システム』と言う研究室。「デザイン理論」や「構造計算」などの、いわゆる「本流研究室」には、行かなかった。いや、むしろ行けなかったと言った方が正しいか。

 

◆1. 「建築」で大学院に行くぞ!

1996年夏、工学研究科建築学専攻の入試に失敗。
1997年夏、工学研究科建築学専攻の入試に失敗、アゲイン。

ちょうどその頃、工学部建築学科にも「インターネット」がやってきた。インターネットケーブルが壁にガムテープで留められ、教授宛の電子メールは秘書さんが紙に印刷し、、、ITなんてミンナ無知だった。

研究室のパソコン(PCサーバ)には全て Global IP が割り振られ、日夜世界中にSPAMメールやらウィルスやらをばらまいていた。楽しい時代だ。第1週のゼミは「はじめてのC言語」で、第2週のゼミが「はじめてのC++言語」。無茶苦茶な時代でもあったと思う。

当然の末路だが大学院入試の季節を迎えても、『建築史』も知らなければ『構造計算』もできないままだった。
大学院入試は「無謀な志願」であり、本人の予想通り不合格だった。しかし不思議な事に、心を入れ替えるでもなくサーバと戯(たわむ)れる同じ生活を続けた。そして、その翌年の大学院入試も再び不合格になる。(ほんとヒマだねー)

 

◆2. 「コンピュータ分野」への華麗なる転身?

1998年の3月、情報学研究科社会情報学専攻の入試に合格。

世の中が「ドットコムブーム」だの、「2000年問題」だの、ITで盛り上がっていた時代だった。「大学院浪人2年目」に突入する直前、なんと大学院合格の御便りが届いた。併願していた情報学研究科からだ。その年は、折しも1998年は京都大学大学院に『情報学研究科』と言う独立大学院が新設される年だったため、募集人数が多かったのだ。今村をその広き門戸をくぐる事が許された。

今村は運が良いと思う。

確かに当時、プログラミングも好きだったし、サーバ構築も得意だった。しかし、特に「時代の先を見越してITを学んだ」ワケでもナンでも無い。単なる偶然のめぐり合わせで、潤沢な研究予算のある研究室に入ることができた。

(今でも建築図面を見たり、設計アイデアを練るのは、大好きだ)

 

◆3. 恩師との出会い

大学院時代の恩師は、上林弥彦先生と言う方だ。(以降「ボス」と呼ぶ)
ボスは日本データベース学会の創始者であり、データベース界で知らない人は居ない有名な方だ。そして、その新設大学院「情報学研究科」の創建に大きく尽力した方でもある。時の総長(学長)、長尾先生と共に情報学研究科の『始祖』と言っても良い。当時、まだ50代後半だったが、それ以上の貫禄があった。ちなみに見た目は和田勉、笑い方はウド鈴木だ。(言いすぎやろ)

「元ちゃん! 今度ケイが来るよ! ケイが!」(デヘヘヘ) ※ボスは必ずデヘヘヘと笑う

聞けば『パソコンの父』と呼ばれ世界的に有名なアランケイ氏を研究室に招聘しちゃったと言う。愛くるしくもアリ、(暑苦しくもアリ)、一方で政治力のある人でもあった。

そんな多忙な方だから「学生の指導」なんてしないか、と言えば、まるで違う。
とある日、某企業から長期の研究開発オファーがあった事を報告した。今村にとっては、米国で開発するチャンスだった。日頃、学業よりも企業からの仕事を優先していた今村を暖かく見守ってくれていたボスだったが、少し勉強させようと思ったのだろう、こう言った。

「学業のけじめに論文を1本出して、その上で行っておいで!」(デヘヘヘ)

そう言われて初めて真面目に論文を書いた。
しかし、内容が稚拙だ。全く勉強してこなかったのだから仕方が無い。書いた文章をボスのところに持っていくと、どこの通信添削よりも遥かに真っ赤な添削が返ってきた。書いた量より、添削された量の方が多い日もあった。(今でも募集論文のテーマを覚えているが、ボスの専門領域とは全く違う内容だった)
いよいよ渡米の日が近づいてくると、ボスの部屋でマンツーマンで赤ペン指導を受けるハメになった。ようやく書きあがったのは渡米前日の昼。自信を持ってボスの部屋に行くと、あれれ、、、またその場で赤ペンが書き込まれた。

「じゃ、夕方の4時に持ってきて」(デヘヘヘ)

しかし、ココまでくれば赤ペン通りに原稿を修正すればよいのだから楽勝だ。そして夕方の4時に持って言った。しかし、

「ココは、こんな感じの方がイイね。じゃ、夕方の6時に」(デヘヘヘヘ)

どうやら言い回しが気に入らないらしい。そして修正する。また今度は6時に持っていく。するとまた同じ事が繰り返される。

「じゃ、夜の9時に、明日のフライトは何時なの?」
「じゃ、夜中の12時に、間に合うよね」
「じゃ、午前3時に、寝なきゃイイ」
「じゃ、午前6時に、ガンバレ」

ア・リ・エ・ナ・イ・・・。なんでこの人は、これ程に尽くしてくれるのだろうと思った。「折角、ウチの研究室に来たのだからね」の一言が強く印象に残った。

#ちなみに、誠に、誠に、誠に遺憾ながら、その査読論文は「不合格」だった。(またか!)

 

◆4. 起業

大学には長く居たが、修士2回生の時は「勉強」した様に思う。修士論文も、ひとえにボスの熱血指導のおかげで完成した。(他の教授陣の評価はCだったが、ボスの評価だけはBだった)

#どうでも良いが、本当は修士2回生の1月、すなわち2000年1月に法人を設立したかった。
#しかし、ボスによる「一蹴」で4月にずれ込んだ。今から考えれば当たり前のことだ。

会社を設立してからは、仕事になりそうな人を紹介してくれた。投資家も紹介してくれた。
1年ほど経ったとある日、「増資したい」(会社の資金を増やしたい)と『事業計画書』を持って行った事がある。持参した『事業計画書』に自信が無かったので、「また赤ペンを食らうかもなー」と覚悟したのを覚えている。しかし、ボスはその『事業計画書』を開く事も無く言った。

「幾ら要るの?」(デヘヘヘ)

ボスは嬉しそうだ。
わずか8ページ程度の査読論文に、あれ程までに一言一句、赤ペンを走らせていたボスなのに、事業計画書は読もうともしない。「無条件応援」とでも言えば良いのだろうか。何も疑うことなく、何も問いただすことなく、快く出資してくれた。

「ウチの研究室の出身者には、社長が3人も居るんだよ」(デヘヘヘ)

本当に嬉しそうだった。

 

◆5. 情報学との縁

ボスの出資から3年経ち、会社も軌道に乗りつつある時、ボスは突然亡くなってしまった。
教授室で脳内出血で倒れたのだ。まだ60歳だった。平たく言えば、働き過ぎだ。

葬式の時に思った。
– おそらく、今村に偉い人を紹介してもボスにとっては何の「価値」も無かったはずだ。
– 良く考えれば、今村を指導してもボスにとっては何の「価値」も無かったはずだ。
– 今村は、偶然、情報学研究科に偶然迷い込んだ1学生にすぎない。
– 競争社会にあって「関わらない方が良い存在」だったように思う。

・・・にも関わらず、ボスは本当に沢山のモノをくれた。きっと、あの出資金も、ドブに捨てるつもりだったのだろう。情報学の基礎知識が無い、(まー建築の知識も無いけど)、あんまり役に立たないであろう、、、そんな今村に対して「見返り」は期待しても仕方ない。。。

ナンダ?
なんでだ?

敢えて言えば「縁」だ。
人間は「自分とつながりのある人」の為に生きている。
そして、その人とのつながりを太くする為に生きている。

 

◆6. 超交流会

うーん、柄にもなく、シリアスな感じのマジメ文章を書いてしまった。
でもね、、、やっぱり折角の「縁」は太くして行きたい。「縁」のとなりにある「縁」も、太いモノになって欲しい。そう思う。人間はホントに「社会性の強い生き物」なんだよ。他者との関係性の中で生きている。『損得』だけで行動している訳ではない。

今村はまだ40歳だ。
周囲のみんなに、大したモノはあげられない。

でも、ま、今にして出来る事も、今なら出来る事も、今しか出来ない事も、少しならある。ある様な気がする。
そして、そして、もう少ししたら、もう少し役に立つ人間に成長している、、、ハズだ。しばらく待っててくれ! (どうだか…)

うん、、、
うんうん、、、
地縁、血縁、そして、同窓の縁。

まー、とりあえず、超交流会で会おー!

 

在りし日のボス
prof-kambayashi

 

<関連投稿>

「縁」を大切に、人脈を広げよ! (2013-05-17)
『同窓会の縁がつなぐネットワーキングも悪くないよ (2013-04-05)

 

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